ダニング=クルーガー効果の有名な曲線は元論文にない

ネットでよく見かける、ダニング=クルーガー効果の曲線があります。

知識が少ないうちは自信が急上昇して「馬鹿の山」に達し、その後、自分の未熟さに気づいて「絶望の谷」へ落ちる。そして学習を続けると「啓蒙の坂」を登っていく――という、あの図です。

とても分かりやすく、直感にも合います。ワイ自身、「確かにこういうことはある」と感じます。

ダニング=クルーガー効果としてネットで広まった、馬鹿の山・絶望の谷・啓蒙の坂の模式図。元論文の図ではない
ネットで広まった模式図をWOLFが描き直したもの(作ったのはCodex)。1999年の元論文に掲載された図ではありません。

でも論文に「馬鹿の山(Mt Stupid)」とか書くかな?と思って昔調べたことがあるんですな。そしたらなんと・・・

あの曲線は1999年のダニングとクルーガーの論文には掲載されていませんでした。おいおいおーい。

 


有名な「馬鹿の山・絶望の谷・啓蒙の坂」は、ダニング=クルーガー効果を説明するために後から作られ、広まった模式図です。元論文が示したグラフでも、経験を積む人の自信を追跡した結果でもありません。

 

ただし、だからといって「ダニング=クルーガー効果そのものが嘘」という話でもありません。有名な図と、研究で実際に確認されたことを分けて考える必要がありそうだってこと。

 

 

元論文が実際に調べたこと

1999年にJustin KrugerとDavid Dunningが発表した論文の題名は、Unskilled and Unaware of It。日本語にすると「能力が低く、しかもそのことに気づいていない」といった意味です。

研究では、大学生にユーモア、英文法、論理などの課題へ取り組んでもらい、実際の成績と本人による自己評価を比較しました。

Study 2の論理推論テストでは、成績が下位25%だった参加者の実際の成績は平均12パーセンタイルでした。しかし、本人は自分のテスト成績を62パーセンタイル、論理推論能力を68パーセンタイル程度だと見積もっていました。

 

要するに、成績が低い人ほど、自分の誤りや他人との差を正しく認識するための知識も不足しやすい、という結果です。

ここで重要なのは、元論文が調べたのは「ある時点における実際の成績と自己評価のズレ」だということです。

  • 横軸を経験量にした研究ではない
  • 1人の初心者が熟練者になるまでを追跡した研究ではない
  • 「馬鹿の山」や「絶望の谷」という段階を示した研究ではない

ネットで流通している曲線と、元論文の研究デザインは別物です。

ダニング=クルーガー効果の元論文Figure 2を基に、四分位別の能力とテスト成績の自己評価、実際のテスト成績をWOLFが再作図したグラフ
Kruger & Dunning(1999)Figure 2を基にWOLFが再作図(作ったのはCodex)。下位・上位群は本文値、第2・第3四分位は原図から読み取った概数です。

元論文はミシガン大学の研究室サイトで確認できます。

Kruger & Dunning(1999)原論文PDF

 

 

有名な曲線は何を描いているのか

有名な曲線は、一般に次のような物語を描いています。

  1. 少し学ぶと、自信だけが急激に高くなる
  2. 学ぶほど世界の複雑さに気づき、自信を失う
  3. さらに学ぶと、実力と自信が少しずつ回復する

これは学習経験を説明する比喩としては優秀です。だからこそ、プレゼン資料、自己啓発記事、SNSなどで繰り返し使われてきました。

しかし、分かりやすい模式図と、データから得られた結果は同じではありません。

比較有名な曲線1999年の元論文
横軸経験・知識の増加課題の実際の成績
縦軸自信実際の成績と自己評価
時間の流れある基本的にない
絶望の谷描かれる検証していない
役割学習過程を表す模式図能力と自己評価の較正を調べた研究

なお、ネット上の曲線には複数の形やラベルがあり、「最初にこの形を描いたのは誰か」を一本に特定するのは簡単ではありません。

少なくとも言えるのは、あの図をKrugerとDunningが1999年の論文で発表したわけではないということです。

 

Dunning本人も「私たちの図ではない」と答えている

この点については、David Dunning本人も明確に答えています。

2020年3月、Bloomberg Radioの番組「Masters in Business」で、司会のBarry Ritholtzが、ネットで見かけるグラフについて質問しました。

Ritholtz: “So you didn’t do Mt Stupid or the Valley of Despair as they have been called?”
Dunning: “No, we did not.”

つまり、「Mt StupidやValley of Despairと呼ばれる図を、あなたたちが作ったのですか」という問いに対し、Dunningは「いいえ、作っていません」と回答しています。さらに、これらのグラフは自分たちのものではなく、1999年の論文とも関係がないと説明しました。

一方でDunningは、ネットで広まった着想を面白いと考え、後から研究室で検証したとも語っています。それが、初心者の自信が初期に急上昇する過程を調べた2018年の研究につながります。

順序としては、1999年の論文からあの模式図が作られたのではなく、ネットで模式図が広まった後に、その着想の一部を研究者が検証したということです。

David Dunningインタビュー全文(2020年3月、英語)

 

 

では「初心者ほど急に自信を持つ」は間違いなのか

ここが少し面白いところです。

2018年、Carmen SanchezとDavid Dunningは、初心者が経験を積む過程で自信と成績がどう変わるかを調べた研究を発表しました。

6つの研究を通して観察されたのは、初心者が最初から強い自信を持っているというより、少し経験すると自信が急速に膨らむという現象でした。研究者らはこれを「beginner’s bubble(初心者のバブル)」と表現しています。

初心者は、最初の成功や表面的な規則から、まだ不完全な「自分なりの理論」をすぐ作ります。その理論で説明できる範囲だけを見ている間は、自分が理解したように感じやすい。

経験が増えると、その単純な理論では説明できない事例に出会います。すると、自信の上昇はいったん止まり、その間にも実際の成績は改善していきます。その後、自信も再び上がり始めました。

ただし、ここでも有名な曲線のように、自信が深い「絶望の谷」まで急落したわけではありません。

Sanchez & Dunning(2018)研究概要(PubMed)
論文DOI:10.1037/pspa0000102

 

 

「無知な人ほど自信満々」と決めつけるのも違う

ダニング=クルーガー効果は、しばしば「あの人は無知だから自信満々だ」という他人への悪口として使われます。

しかし、元論文の結果はそこまで単純ではありません。

能力が低かった参加者も、必ずしも全員が「自分は最高だ」と考えていたわけではありません。実際の成績より自己評価が高く、そのズレが大きかった、という話です。

しかも、これは人間を「無能な人」と「有能な人」に永久に分ける診断でもありません。文法、論理、相場分析、プログラミングなど、対象とする分野が変われば、同じ人でも知識や自己評価の精度は変わります。

他人を分類するためではなく、自分の判断がどれだけ現実と合っているかを疑うために使うほうが建設的です。

 

 

なぜ模式図が「研究結果」として定着するのか

理由の一つは、図があまりにも分かりやすいからでしょう。

  • 物語になっている
  • 自分の経験と結びつけやすい
  • 他人を説明する道具として使いやすい
  • 一枚で理解した気分になれる

誰かが研究を分かりやすく説明するために図を作り、別の人が出典を省いて転載し、やがて研究者本人が発表したグラフのように扱われる。

これは悪意のある捏造というより、情報が要約され、共有される過程で起きる変形です。

そして皮肉なことに、「少し知って分かった気になる」という話を説明する図そのものが、元論文を読まずに分かった気になりやすい題材になっています。

 

 

相場の「常識」にも同じことが起きる

この話は、FXや投資と無関係ではありません。

相場には、出典や条件が曖昧なまま繰り返されている「常識」がたくさんあります。

  • ゴールデンクロスは買いシグナル
  • このローソク足の組み合わせが出たら反転する
  • ダウ理論では、こうなったら買い・売りと判断する
  • 勝率が高い手法ほど優れている
  • 有名な投資家が使っているから有効である

これらが必ず間違いだと言いたいわけではありません。

問題は、誰かが作った説明図や、何度も引用された言葉を、そのまま根拠だと思ってしまうことです。

相場なら、少なくとも次を分けて確認する必要があります。

  1. 定義:何を満たしたらシグナルなのか
  2. 原典:最初に誰が何を主張したのか
  3. データ:どの市場・期間・時間足で確認したのか
  4. コスト:スプレッドやスリッページを含めたのか
  5. 再現性:別期間や未使用データでも残るのか

図や格言は、仮説を考えるきっかけにはなります。しかし、それ自体は検証結果ではありません。

 

 

一次情報を確認するときのチェックリスト

今後、研究や相場の「常識」を見かけたら、次の順番で確認してみてください。

  • 誰が言ったのか。研究者本人か、後から解説した人か
  • 元資料はあるか。論文、公式統計、提出書類、ソースコードまで遡れるか
  • 図の軸は何か。経験、能力、時間、自己評価を混同していないか
  • 実際に測ったものは何か。説明用の比喩を測定結果として扱っていないか
  • どこまで言えるか。特定の課題の結果を人間全体へ広げていないか
  • 反対の証拠はあるか。追試、別解釈、測定上の限界を確認したか

一次情報を読むことは、権威を盲信することではありません。

むしろ、誰かの要約をいったん外し、実際に何を調べ、何が分かり、何はまだ分からないのかを自分で確認する作業です。

 

 

まとめ

  • 有名な「馬鹿の山・絶望の谷」の曲線は1999年の元論文にはない
  • 元論文は、実際の成績と自己評価のズレを調べた研究
  • 2018年の研究では、少し経験した初心者の自信が急上昇する「初心者のバブル」が確認された
  • ただし、有名な模式図のような深い「絶望の谷」が示されたわけではない
  • 分かりやすい図と、研究で実際に確認された事実は分けて考える

常識を疑うとは、何でも否定することではありません。

「それは誰が、何を調べて言ったのか」と一段だけ深く確認することです。

相場でも同じです。信じるか否定するかを先に決めるのではなく、検証できる形へ直してからデータを見ましょう。

 

 

「相場の常識」を、自分で検証できる仮説に変える

WOLF Educationでは、反証可能な仮説の作り方や、認知バイアスから判断を守る方法を順番に解説しています。

 

 

参考文献・一次資料

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